Netflix/ネットフリックスオリジナル映画、Bird Boxを鑑賞した。
サンドラ・ブロック主演であり、アメリカのおバカな若者たちがバードボックスチャレンジと称して目隠しで危険行為を行い、さらにYouTube動画として投稿するという社会現象にもなった映画だ。
あらすじを書くとめちゃくちゃシンプルなのだが、感想となると評価を出すのはなかなか難しい映画の1つであると思う。
ホラージャンルなのかサスペンスなのかどちらとも言い難く、ディストピアサイドに吹っ切れているわけでもないからなのだが、それにしたって心をかき乱してくる作品なのは間違いない。
バードボックスあらすじ
全国各地で突如として発生した謎の連続自殺。
この悲惨なパンデミックの原因は「なにかを見た」ことしかわからない。
その何かを見てしまった瞬間、人々は強烈な自殺衝動にかられ自らの命を絶ってしまう。
阿鼻叫喚、絶体絶命の中、主人公マロリー(サンドラ・ブロック)は幼子2人を抱え、約束された安住の地へと旅立つが・・・。
そこには孤独な闘いが待っていたのである。
外の世界を見てしまうと死んでしまう。というなんとも奇天烈な設定のこの物語。
マロリーと生き残った者たちは一軒家に籠城し、なんとかサバイバル生活を送ろうとするのだが、次々と襲ってくる難題によって、ひとり、またひとりと死者が増えていく。
なんとか生き延びる生活を確立していこうとしていた中、恐ろしい事実を聞いてしまう・・・
生き残るには決して目を開けてはいけならないはずなのに、なんと『見ても平気な者たち』が存在するというではないか。
しかも奴らは『闇に魅せられる人間』。
基本的には隔離施設に入れられるような頭のネジが吹っ飛んでいるやっかい者なのだ。
彼らは『見ては自殺してしまう人間』に『なぁ見ろよ!』と目をこじ開けるがごとく襲ってくるのだ。
『見てはいけない外の世界』と『闇に魅せられる者たち』との狭間でいま、熾烈な戦いが始まるのだ。。。。
結末とネタバレ
ネットフリックスの映画版しか見ていないので、原作に忠実に仕上げているのかはわからない。
ただ、結末はかなりモヤモヤが残るものとなっている。
妊娠中だったマロリーは同じく妊婦だった女性と、一軒家に立てこもり中に出産を果たす。
場面は何度も切り替わり、マロリーは成長した子供2人とともに目隠しをしながら川下りをしている様子がうかがえる。
ここからネタバレ↓↓↓↓
すでにこの状態から生き残ったのはマロリーと2人の子供だけだというのが分かる。
彼らは結局最後は、リックという救世主的な存在の声に導かれ、生き残った者たちの世界へとたどり着くのである。
しかしたどり着いた先は盲学校であり、リック自身も盲目であるのがうかがえる。
何人かの生き残りはマロリーと同じく健常者であるが、他多数はリックと同じようにやはり盲目の人々である。
盲目であるのが一人勝ち?
見た人はわかるだろうが、私はかなり序盤で、「これって目の見えない人は平気だよね??」という疑問が頭の片隅に浮かんでいた。
驚いたのはマロリーがたどり着いた先が本当に盲目の人のための施設であったこと。
ここから作者が何を言いたいのか推測するヒントがあるのだろうか。
目に見えることが全てではない。
時には見なくてはいいものもあるし、見てしまうことで自分の中の悲しみや恐怖と立ち向かうことになる。
生きるということは、他者との繋がりによって生じる美しき世界であり、またそのためには物理的に目で見ることのみにあらず。。。。
なんて・・・・一見すると陳腐なお説教なのだろうか?
ありきたりすぎないか?いいのか!?これで!(笑)
正体はなにか??
気になるのがやはり世界に広がっている謎の正体だ。
木々や木の葉がざわめく様子が映像からわかる。
スーパーナチュラルな神秘的存在なのか、
それとも人間によって作られた生物兵器なのか、つまりは
神経回路に作用して幻覚を見せる生物凶器、俗にいうバイオテロの結果だろうか。
個人的には幻覚作用、もしくは過剰な免疫システムを引き起こす危険物質がばら撒かれたに一票いれている。
本来は地球はこんな風にうごめき、ざわめき、囁き、そして動き回っているのかもしれない。
しかし本来、人間は気づかないのだ。見ているつもりでも見えてはいなかったのだ。
本当の地球の姿が見えてしまう生物兵器に被爆するまでは・・・・。
なんて推測もできそうではある。
壁一枚の紙一重
リックが統率するあの最後の住処も疑問点が残る。
あそこは本当に安全な場所なのか!?
マロリーが中に入れてくれと懇願したあの薄っぺらそうなドア一枚で外の世界と中の世界を隔てているわけだが、そんなんでいいのか???
なぜ謎の正体は壁や窓をすり抜けられないのか、もし闇に魅せらる奴らがそこにたどり着いたら、全員終わりじゃないか!?
という、なんとも釈然としない結末を迎える。
ただ、その紙一重がポイントでもある。
見える世界と見えない世界、見てもいい世界と見えはいけない世界。
これらはハッキリ言って、人間が太古の昔に捨て去った第六感の領域に属していてもおかしくない。
現代人は見えないように進化してきたのではないか?
しかし見えないように、鈍感になって生きてきた人間が、見えるようになってしまうと、そこには危険が待っているわけだ。
しかし見えないからと言って、そこに『ない』わけじゃない。
いつだって見ようと思えばそこにあるのだ。
情報に惑わされているこの現代にあって、美しくも恐ろしい宇宙の存在は常に私たちの周りに存在しているのだ。
という描写とも思えなくもない。
籠の中の鳥
タイトルにもなっている『鳥』のこともやはり気になる。
鳥かごに入れられたあの鳥たちは危険を知らせてくれる存在として登場させられる。
タイトルもBIRD BOXなわけで、鳥かごなのだ。
なぜ鳥なのか?
鳥かごに入れられた鳥というイメージは自由のない、閉じ込められた存在として描かれることが多い。
キリスト教でも鳥の存在は大きい。
絵画にも鳥が描かれることがあり、その鳥が示唆することは聖霊であったり、受難であったり、善と悪の葛藤であったり、宗教画でも作者やシチュエーションによって意図はことなるが、なんらかの神と世界の仲介としての意味が大きい。
鳥は劇中でずっと箱に入れられているが、最後のあの場所では空に羽ばたいていった。
恐れからの解放を意味しているようにも思える。
ピュアに吹っ切れる
闇に魅せられる人間のあの目をマジマジと見ただろうか?
めちゃくちゃ綺麗なのだ。家の中に入り込んだあの男、あいつの目の輝きったらある意味で、ピュアだ。
交じりっ気のないピュア。闇に対する愛は本物であり、そしてその目は美しい。
『普通の』人間にしてみらば狂気の沙汰であるが、彼らサイドにしてみたら彼らこそが純粋であり、それがたまたま闇だったのである。
自殺していく寸前の目は、闇に魅せられる人間の目の輝きに似ている。
そしてその目の様子は、銀河のようなキラキラとした輝きを放っている。
闇とはこの世の本質であり、そして宇宙そのものであるのか。
最初から見えていた奴らにとってみたら、見てはいけないものは常にそこにあり、そしてそれは究極に美しい。
見ては死んでしまう人間には、それはあまりにも美しすぎて、醜すぎて、そして恐ろしい。
風の谷のナウシカ
バードボックスの口コミや評価を見てみると、世間ではこのバードボックスが映画クワイエットプレイスに似ていると言われている。
音を立てたら即死する設定と、見たら自殺してしまう設定。
たしかに似ているし、こういったストーリーが今は来ているのかもしれない。
ただ、なぜか私は風の谷のナウシカを思い出してしまった。
浄化され過ぎた空気を吸うと滅びてしまう、ナウシカたち。
常にマスクは手放せない世界なわけだが、あの世界は本来は私たち現代人にはごくごく普通の綺麗な空気なのだ。
しかし美しきそのピュアな世界はナウシカ達にとっては毒なのである。
バードボックスの世界も究極にろ過されたような美しき状態が、逆に人体には毒となりうる。
わりのこの二つの状態、似てるじゃないか!と思いながらの鑑賞であった。
これが答えではなく、個人的なただの感想であるので正解ではないし、解釈は人によって当然異なる。
さまざまな論争を引き起こすこういった映画は賛否両論あるにしろ、話題になるだけあってやはりインパクトは大きい。
さ、もう一度バードボックスを見てみるとしよう。
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